「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる」詩篇37:5

ある人が、自分を傷つけた相手を赦せない思いでいっぱいだった。怒りが湧くし、憎しみや処罰感情も募る。何倍にもして報復したい。しかしそのために、自分自身は苦しい。「もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません」との御言葉に触れ、更に悶々状態に陥った。

 

赦す事が御心であり、赦さなければと思うのだが、怒りはますます沸くばかりだ。赦せない。だが、自分はクリスチャンなのだから、それではいけないとも思う。が、幾ら頑張っても無理だ。頑張っても出来ない。祈ろうとし、祈るのだが、相手の事を思うと、祈りの最中に怒りが沸いてしまう。

 

どうにもならず、お手上げ状態で、主に告げて行った。「出来ません」「赦せません」「あの言動態度を見られましたよね」「だいたい何であの人と出会ったのか」「私の人生はめちゃくちゃです」と不満や愚痴の思いのたけを告げていると、段々心の中が見えて来て、赦せないのでなく、決して赦さない、赦したくない、頑なな自我にぶつかった。

 

赦そうとするが、赦せないのでなく、絶対に赦したくない自分。しかし、延々あるがまま、感情もぶつけて、御前に吐き出していると、不思議だが、何だか心があったかくなって来たのだ。自分がありのまま、主に受け入れられている事を膚で感じた。「あなたの道を主にゆだねよ」「主が成し遂げて下さる」。

 

委ねればよいのだと、赦せない自分を明け渡した。その時からだった。少しずつ少しずつ自分が変えられて行った。いつしか赦せていた。自分が頑張ったのでなく、まさに主が成し遂げて下さった。

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自分で頑張っても出来ないと認められたら感謝だ。くり返した失敗も自力を手放すための益で、委ねる決心を主は助けてくださる。御言葉や、御霊の励ましを通し主が重荷を取ってくださる。