「笛を吹いてやっても、君たちは踊らなかった。弔いの歌を歌ってやっても、悲しまなかった」マタイ11:17

私たちが相手を裁くのは、ほとんどは相手が自分の思い通りでないからだと言われている。自分の思いと違うから、相手を裁き、非難する。つまりは自己中心によるものだ。主は、当時の人々を、遊びをしている子供たちに例えられた。子供たちは、一緒に遊ぼうと他の子たちに呼びかけた。まず「結婚式」の遊びをし、楽しげに笛を吹いたが、誰も踊らず、相手にしなかった。それで次に「葬式」の遊びをした。

 

これにも誰も乗ってこなかった。同様に当時の人々は、悔い改めのバプテスマを授けているヨハネが、荒野でいなごと野蜜で生活していると「悪霊につかれている」と言った。そして、主が取税人や遊女の友となり、罪人と宴会の席についていると、「食いしんぼうの大酒飲み」だと言い「罪人の仲間」だと言った。結局、何をしても批判し非難した。

 

つまりは、自分たちの正しさを誇っていた。相手を正しく見て、受け入れようとの思いなど皆無だった。その時に主は、「知恵の正しいことは、その行いが証明します」と言われた。必ず主の正しさは、その行いによって証明されて行くと。

 

そして「そのすべての子どもたちが証明します」と。クリスチャンたちが証明して行くと。私たちが悔い改めて、御言葉を聞き、自分の思いでなく、御言葉に従って行く時に、私たちを通して、主の正しさが証明されて行く。

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一生懸命に自分の正しさを守ろうとしている人には、いくら説得しても伝わらない。主を信じ、自分の価値観から出て主の恵みに応答していきたい。主の正しさを証明する者でありたい。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係