「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです」ルカ2:10

「すばらしい喜び」と言っている。喜びについての事でなく、「喜びそのもの」だと。その大きな喜びの知らせを第一に届けられたのは、野宿していた羊飼いだった。この当時羊飼いは、身分は低く、さげすまれ、社会の最も底辺にいる極めて貧しい人々だった。人々は住民登録で移動し、慌ただしかったが、羊飼いはそれさえ関係無かった。

 

立派な有名人や、学識者や、資産家や、指導者でなく、そんな底辺の見放されたような人々に、真っ先に、救い主誕生の大きな喜びが知らされた。「きょう」生まれたと。それで「急いて行って」、彼らはすぐに喜び勇んで行き、ベツレヘムのヨセフとマリヤを探し当て、飼い葉おけを見つけた。全部が御使いが語った通りであることを確認した。

 

彼らは救い主誕生という余りにも大きな出来事に、喜び溢れて、明日にではなく、すぐに行動した。この時、もし主が、立派な宮殿で生まれていたらどうだろう。彼らは会いに行く事も、近寄る事すらも出来なかった。彼らが「神をあがめ、賛美しながら帰る」ことも無し得なかった。「神をあがめ、賛美しながら帰る」自分のための救い主に会い、彼らは帰って、同じ仕事をするが、心は全く違っていたであろう。

 

「あなたがたのために」貧しく苦しい生活で、人々が眠る間に働く羊飼い。彼らを格別慈しみ愛されたが、同様に、私たち一人一人のために救い主として来て下さった。主に出会い、新しい人生が始まり、一日が新しく新しくされる。

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貧しさを覚え心ひそめて救いを待っている者に主は現れてくださった。闇が深いからこそ喜びは溢れる。きょうダビデの町で、私のために主はお生まれになった。それゆえに喜びが溢れる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係