「私は、神に信頼しています。それゆえ、恐れません。人が、私に何をなしえましょう」詩編56:11

ある人は、小さい時から性格的に、他人の事が人一倍気になった。どうしても人が気になって仕方がない。人の目を気にしてしまう。良く見られたいし、良い人だと思われたい。人に嫌われたくない。そんな時、ある近所の人から、酷く悪口を言われている事を、友人から告げられた。

 

近所の人々からも同じ事を聞き、驚いて思い煩いで心が重苦しくなった。身に全く覚えのない中傷、非難、批判に、自分は立っておればよいと思うが、つらくて涙が溢れた。人に良く見られたい自分の弱さ、急所だった。その急所が痛くてたまらず、悩んで心暗く悶々の日々だった。ずっと誹謗中傷が続き、つらくてたまらない中、祈りに祈った。

 

主に心の内をことごとく打ち明け、この事態を助けて下さい、御心のように導いて下さいと、自分自身を今一度主に明け渡した。委ねた時に、あれほど苦しかった心が和らいだ。不思議だった。苦しかった心が平安になった。そして更に心に奇跡が起きて、自分でも驚いたのだが、相手の事が気にならなくなったのだ。

 

幾ら考えても、こちらに非は思い当たらず、悪口を言われても、もういいやと思えた。こんな事は、以前の自分には考えられない事だった。もう現状もどうであれ、御手に委ねたので、後は主が導かれると思えた。不思議な平安に心が守られて過ごせた。すると相手の入院を耳にした。実は病で、自分が標的になっていたと知った。

 

この事を通して、「主に信頼する者は守られる」ことを身をもって経験させられた。非常に苦しくつらい訓練であったが、主の恵みの取り扱いだと知った。

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主に告げて祈っていると、折々に主の返事を聞いていく。今まで捕らわれていた箇所を示されたり、導き返されたり。主との個人的な交わりに勇気がわいてくる。主が味方だ。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係