「『こんなことでは、いったいどうなるのでしょう。私は』と言った。そして主のみこころを求めに行った」創世記25:22

信仰人生に「なぜ?どうして?」と思うことが起きる。穏やかな日々に、突如の苦しみが臨む事もある。主に従うなら、祝福されるのではないのか、なぜこんな苦しみ悲しみに会うのか。経済的苦境、対人関係の悩み、仕事の問題、病気、離別・・様々な問題を通る。

 

イサクとリベカ夫婦にも試練があった。40歳で、イサクはリベカをめとったのだが、リベカは不妊の苦しみを通った。その上、不妊は当時、神に呪われているという迷信があり、人々から、何か後ろめたい事があるからだと中傷され、更につらい状況だった。そのため、イサクは自分の妻のために主に祈願した。

 

苦しい状況にある妻のために切に祈った。主はイサクのその切なる祈りに答えられた。主は、窮地に陥った者の祈りを聞いて下さる。私たちも、窮地にはまず祈ろう。リベカは双子を妊娠した。どんなに喜びであった事だろう。ところが、双子の兄弟がお腹の中でぶつかり合い、争うという悩みが襲って来た。

 

あんなに求めた子供なのに、リベカは不安でたまらず、そんなリベカがした事は「そして主のみこころを求めに行った」とある。私たちも、喜びの日々から、突然わけのわからない不安な状況に陥ったり、理解不能の事態に遭遇する事がある。そんな時はリベカのように、主のみこころを求めよう。主は祈りに答えて、主のお心を示して導いて下さる。

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突然の事態でも主に祈ると希望が生まれる。主が聞いてくださり愛を持って答え、導いてくれるからだ。足りない自力で頑張って生みだす希望ではない。主に信頼していよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係