「ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、私のしも べは直りますから」マタイ8:8

ある百人隊長が、主のもとに中風のしもべのいやしを求めて来た。この隊長は異邦人であり、しもべとは、当時は奴隷であり、奴隷のために心を配り、神を畏れる愛情深い人物であった。自分の家に来てもらう資格もないので、お言葉を下さいと。しもべは直りますからと。へりくだった態度であり、そして彼は何より神の言葉は必ず成就すると信じきっていた。

 

主は、彼の信仰に「驚かれ」、感心し「このような信仰を見たことがない」と言われた。主が驚かれるのは「信仰」だ。立派な善行ではない。彼も権威の下にあり、権威がよく理解できた。例えば警官は車を誘導し、止めたり動かしたりできる。又、違反すれば切符を切られる。運転者はそれに従う。それは、警官に権威が与えられているからだ。

 

そして軍隊の上官の命令は絶対であり、百人隊長は、更に最たる神の権威を認めていた。だからその神の言葉の権威も認めた。主は「さあ行きなさい。あなたの信じたとおりになるように」との言葉を与えられた。すると丁度その時、しもべはいやされた。神の言葉には力と権威がある。霊でありいのちだ。神の言葉はすべて必ずその通りに成就する。

 

私たちはその権威と力のある言葉をどのように聞いているだろう。ぼんやり聞いて、適当な受け止め方だろうか。祈りをもって真剣に聞き、語られた言葉に信仰をもって応答する時、主が働かれ、みわざを見る。今、語られていたなら、従おう。

 

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御言葉を素直に、真摯に、信仰もって聞けたらどんなに良いだろう。それを妨げている、内側にある頑なな岩や、不信仰に気づけますように。御言葉を聞く事から信仰が生まれるので、土地である、心が耕されて柔らかくされ、種がしっかり根付いて行きますように。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係