「蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると鳥が来て食 べてしまった」マタイ13:4

種は神の言葉であり、耕地でなく、人が行き来する固い道ばたに落ちた。もし大切な物なら、道ばたに落ちたまま放っておくだろうか。もし放っておくなら、それは捨てても構わない、どうでもいい物という事になる。道ばたの心は、本心では神の言葉をそんなに大切なものとは思っていない事になる。

 

気に留めていない。関心が無い。だから「悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行く」と。悪魔が来て、信じて救われることがないように、心から御言葉を奪い去ってしまう。心に入らないという事は、結果的に聞かなかった事と同じになってしまう。そうであれば、実を結ぶ事ができず、自分が変えられて行く事もない。

 

御言葉を聞く態度はどうだろう。主が、出エジプトの際の奇跡で、激しい雹を降らせるから、今すぐ家畜、野にあるすべてのものを避難させよと言われた。雹で、人も家畜もみな死んでしまうからと。その時、主の言葉を恐れた者は、言われた通りに、しもべたちや家畜を家に避難させた。

 

しかし、主の言葉を心に留めなかった者は、御言葉をないがしろにし、しもべたちや家畜をそのまま野に残した。激しい雹はことごとくを打ち砕いた。主の言葉を畏れるなら、言葉を受け取り、必ず行動が生まれる。聞き従って行く。

 

私たちは御言葉をどう聞いているだろう。主の言葉を軽んじて、ないがしろにし、聞き流しているだろうか。主の言葉には力がある。愛があり、真実があり、、主のわざを成し遂げて行く。主の豊かな祝福にあずかる。祈って、御霊に助けられて、御言葉に耳を澄まそう。そして御言葉に従おう。

 

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御言葉を聞いて、従うなら、100倍の実を結ぶ。まず御言葉が無い限り、信仰も、結実も無いので、御言葉に向く姿勢は非常に大切だ。漠然と成長する事はなく、御言葉である種が芽吹き、茎となり実を結ぶ。聞く態度を助けられて、聞いた言葉に従おう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係