「こうして、私は神の祭壇、私の最も喜びとする神のみもとに行き、 立琴に合わせて、あなたをほめたたえましょう」詩篇43:4

あなたが、最も心の喜びとするものは何だろう?人は皆、自分の心に幸せを与えてくれるもの、自分を満たしてくれるものを喜ぶ。満足を与え、幸福感を与えてくれるものを求める。もし、富が自分を幸せにしてくれて、夢を実現させてくれて、楽しませてくれ、一生を保障してくれると思うなら、人生に富を求めるだろう。

 

又、人から認められる事、評価される事、ほめられる事が自分に満足と喜びを与えてくれるなら、人の賞賛に的を合わせて生きる事になる。「何を喜びとするか」で、人はそこに、自分の時間も能力も労力も注ぐことになる。そしてその思いの通りの人生が築き上げられる。無意識ながら、方向性を決めてしまう事になる。自分は何が喜びなのだろう。

 

ある宣教師は、力を尽くして宣教活動をし、人が集まれば喜び、人が来なければ、がっかりし落胆した。目に見える成果に喜び、それが無ければ失望する。しかしある時、これなら働きの成果を喜びとしているのであって、主を喜びとしているのでは無い事に気づかされた。主ご自身ではなく、主が下さるものを喜びとしている。

 

それなら自分の願いが叶わない時、必ず落胆するし不満になる。成果でなく、主からの祝福でなく、主ご自身を喜びとして行くなら、状況や結果に関係なく、変わる事のない喜びがある。主との関係の中にいる事が喜びなら、何があろうと無かろうと揺るぐ事がない。主以外の、別のものを拠り所としていないだろうか。

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心が簡単に幸せだと感じるものを見つめ、手に入ると神様感謝しますと満足するが、足らず、満たされず、手に入らない時に、主はご自身を求める本当の幸いな生き方に導いてくださるのではないか。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係