「それは、あたなを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を 守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった」 申命記8:2

試練は苦しく、つらい。そのため試練に会うと「なぜ? なぜ?」と不満、愚痴、怒りが湧くが、主は、はっきりと「あなたを苦しめ、試み」と言っている。そして「順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。これもあれも神のなさること」と、順境も逆境も主からのものだと。順境の時には喜び、感謝すればよいが、試練を通してしか得られないものがある。

 

「苦しみに会う前には、あやまちを犯しました。しかし今は、あなたの言葉を守ります」の通りに、人は強情で頑固で、自分を正当化する者だ。自らの非を認めたくないので、環境や人のせいにする。しかし苦しみにより砕かれて、自力に頼れないので、主のもとに追いやられる。主に頼るしか、なすすべが無いところにまで追い込まれる。主に拠りすがって行く。へりくだるようにさせられる。

 

その時、初めて真に主を知る。拠り頼む事の意味を知る、幸いな経験だ。涙の谷を過ぎる時も、その中で主に従って行くなら、必ずそこが泉の湧く所となる祝福とされる。人は皆、試練に会う。思い通りに行かないから試練だが、その時に二つの選択がある。心を屈折させ、不信仰に陥る事もできるし、主からの訓練としてしっかり受け止める事もできる。

 

自らの選択だ。そして結果を刈り取る。訓練として受け止めるなら、測り知れない益を得る。平安の実を結ぶ。後に「苦しみにあったことは、私にとって幸せでした」と必ず言える。苦しみは私たちを達を、更に主に近づけてくれる。ついには、あなたを幸せにするためだ。

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試練の度に強靭になれと言われるのではなく、主に頼る事を覚えなさいと言われるのは何と慰めだろう。主は心を用いてくださっている。主に訴え、主に祈りながら試練を抜けていこう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係