「そこで、舟の中にいた者たちは、イエスを拝んで『確かにあなた は神の子です』と言った」マタイ14:33

五千人の給食の奇跡の後、すぐに弟子たちは、強制的に舟に乗せられた。主が同伴されないので、弟子たちは気が進まなかったろうか。無理やり行かせられた。主はその間、「祈るために、ひとりで山に登られた」。その祈りは弟子たちのためだった。私たちも振り返ってみた時にどうだろう。気が向かない、本音ではしたくない、関わりたくない、動きたくないと、渋る時に、主は「強いて」させられる事がある。

 

御言葉に迫られ、渋々従ったのだが、その結果大きな祝福を何度も経験した。肉はいつも渋る。主が強いてさせて下さる事は、実は恵みだ。その時に、主は弟子たちにされたように、執り成して下さっている。弟子たちは、その舟で嵐に遭遇する。真っ暗闇の中での嵐は、ベテラン漁師の弟子たちも恐怖を感じた。このままだと舟が沈んでしまう。

 

主が飛んでしまい、パニックだ。彼らは自力で奮闘していた。自分の力で何とかしようと必死だった。そんな中、向こうから来る主を、恐怖のため、幽霊と間違える。「パンのことから悟るところがなく、その心は固く閉じていた」ゆえだった。主が湖の上を歩くなどと想像だにしない。恐怖の余り、叫び声を上げる弟子たちに「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と。わたしが共にいると。

 

主を迎え入れた時に、嵐はピタリとやんだ。彼らは驚き、主を拝して「確かにあなたは神の子です」と言った。心が固く閉じている者に、強いて舟に乗り込ませ、結果、生けるまことの神の子であることを現された。私たちにも、強いて事に当たらされる事は、頑なな心を砕いて、まことの主を知らせて下さるためのようだ。

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波も風も極力避けて生きたい者だが、何かが起きた時に主と共に対処していく。しっかりしなさいと主の声を個人的に聞くことは大きな祝福だ。主の導きを受けなければわからない。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係