「また、人の益を計り、良い行いに富み、惜しまずに施し、喜ん で分け与えるように」Ⅰテモテ6:18

パウロは「受けるよりも与えるほうが幸いである」とも言っている。パウロは宣教活動をしつつ、テント作りで収入を得ながら、苦労して自分の手で働いていた。自分の生活のため、また共にいた人々を助けるために働いた。人は、どんな事が嬉しくて、どんな事に幸せを感じるだろう。

 

ほとんどの場合は、願いが叶って、欲しかったものを手にした時、又、何かを得た時ではないだろうか。プレゼントや、不意の頂き物や、人からの好意を受けた時、また、感謝された時かも知れない。生まれつきの性質は、欲望が叶う事、得る事、受ける事に喜びを感じるものだ。そして得たものは放したくない。ずっと握りしめていたい。損をするのは嫌で、得をしたい。

 

しか、御言葉はそうでなく、受けるより、与える方が幸せだと言う。この世とは正反対の、全く新しい価値観だ。愛するには、時間と労力を、持てるものを、犠牲を献げる事が必須だ。犠牲無くして愛する事はできない。与えるとは、自分自身を与える事になる。主の一生がまさにそれであった。何もかもを、命までも与え尽くして下さった。

 

与えて行く時、この世への執着、物への執着、また、貪欲から自分自身が守られ、自由にされる。天に視点を置く生き方にされる。自分の時間を家族に、労力を周囲の人々に与えられるよう、祈って行こう。自分のしたい事を少し脇に置く時、与える事の喜びを、御霊の喜びを経験して行ける。

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誰かの益のために用いられるかも知れない。主が志を与えてくださったら、喜んで出来るように祈ってみよう。受けるより与えることの幸いを経験していこう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係