「イサクはそこから移って、ほかの井戸を掘った。その井戸については争いがなかったので、その名をレホボテと呼んだ」創世記26:2 2

イサクが、次々と井戸を掘る箇所が出て来る。ペリシテ人が、イサクが家畜の群れや多くのしもべを持つ事に妬んで、父アブラハムの時代に、掘った井戸をふさいでしまった。そして、出て行けと言われた。しかしイサクはその事でペリシテと争わずに、そこを去り、ゲラルの谷間に住み、そこでまた井戸を掘った。すると湧き水が出た。

 

ところが、そこでもゲラルの羊飼いたちが、この井戸は自分たちのものだと言い張って来た。そこでもイサクは争わず、別の所に移動して井戸を掘った。するとそこでも争って来たので、また別の場所い移動した。そこで井戸を掘った時に、初めて争いがなく、「今や主は広い所を与えて、この地で増えるようにして下さった」と言った。

 

イサクは、理不尽な目に会い、父が掘った井戸を埋められても、また、自分たちが掘った井戸を奪われても、争いを仕掛けられても、反撃せず、争わずに、場所を変えては井戸を掘り続けた。「ののしられても、ののしり返さず、苦しめられてもおどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになった」と、どこまでも主に委ねて行く、まさに主の姿であった。

 

イサクはへりくだっていた。井戸を下に下に掘ることは、へりくだることだ。下へ下へと、御前にへりくだって行く時に、恵みの湧き水が湧く。イサクを追い出したアビメレクは、イサクが素晴らしく祝福される様を見て「私たちは、主があなたとともにおられることを、はっきり見たのです」と言った。へりくだって主に従って行く時、敵が、主が私と共におられることを見る。

 

・・・・・・・・・・・

主に身をゆだねる時に、主が全責任を取って下さる事を見せられる。自分で守るのでなく、主が守って下さる。どうしても自分が出て、自分が事をなそうとするが、へりくだりとは、主に自分自身を明け渡し、主を信じること、主に戦っていただくことを覚えたい。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係