「雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、 それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです」 マタイ7:25

二人の人が出て来る。賢い人と愚かな人だ。賢い人は御言葉を聞き、愚かな人は御言葉を聞かない、であればわかりやすいが、どちらも御言葉を聞いている。違いは、賢い人は「ことばを聞いて、それを行う」。愚かな人は「ことばを聞いて、それを行わない」。愚かな人も御言葉を学び、礼拝で喜んで御言葉を聞く人だ。

 

御言葉を聞かなかったり、反発しているなら、自分でもわかるが、喜んで聞いているので、気づかない。しかし御言葉を聞いて、それで満足してしまう。そこが問題だ。聞いて、わかった気になって、自己満足で終わる。止まってしまう。聞くだけで行わないなら、自分の生まれつきの顔を鏡で見るようだと。

 

自分をながめてから立ち去ると、すぐに見たものを忘れてしまう。御言葉を聞いてすぐに忘れてしまい、何も無かったことになってしまう。結局、聞かなかった事と同じだ。それなら実になることが決してない。私たちは、すぐに忘れてしまう。真理の言葉は行う時に初めて、実を結ぶ。良いお話だと、御言葉を聞いて、終わりだろうか。

 

何も無い時はよいが、試練の時に立ち行けず、倒れてしまうと言っている。「しかもそれはひどい倒れ方」と。御言葉を実行する時に、結実し、どんな試練が来ても倒れない。聞いた御言葉を一心に見つめて離れない人は、事を実行して行く。今、必要な事は聞いたままでなく、その御言葉を実行することだろうか。

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主は多くの言葉を語ってくださっているのに、いざとなると自分を土台に動いてしまう。主の固い守りを信じて主の御心を行おう。主を土台に歩む賢い生き方をしよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係