「しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのよう に、なさってください」マタイ26:39

ある若い宣教師が、発展途上国の宣教地に赴任した。慣れない生活習慣、言葉、気候、文化に大変な苦労をした。カルチャーショックで落ち込み、母国を遠く離れた寂しさや孤独感にも見舞われた。生活習慣が全く異なり、無意識にも、培われた価値観で量るので、現地の習慣と合わず、イラ立ってしまい、怒りすら出て来る。自分の思い通りに事が運ばないので、傷ついている事にも気づかされた。

 

イラ立ち、怒り、失望、落胆、挫折感・・平安とはほど遠いありさまだった。落ち込んで、疲れてしまう事が度々だった。だが、目を主に向け、神視点に立つ時、見方は全く変えられるのであった。これら一つ一つの出来事は、自分の砕きのためだと教えられた。どこまでも自分の思いは強く、宣教活動も、一つ一つの対応、対処も、自分の思う方法でやりたい。

 

その「自分の」思い、「自分の」方法が、砕かれて行くのがわかった。何一つ自分の思い通りにならなかったのだ。主からの砕きの訓練であった。そんな中で、自分のしたい事をするために、そこにいるのではなく、主のなさりたい事を主がされるために、自分がそこにいる事に目が開かれて行った。今一度、自分自身を明け渡した。

 

その時に、自分の思い通りでなくとも、主のみこころが成されて行く事、そのために自分が用いられている事に喜びを感じる事ができた。自分が変えられた。そこに立つ時、状況がどうであれ、心が平安に対応できるようにされた。

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自分の思いにふさがれ、すぐに迷ってしまう者だ。自分の願いと共に、しかし、主の御心がなりますようにと祈ろう。主のみこころがなされていく事が願いと明け渡していきたい。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係