「わたしを呼べ。そうすれば、わたしはあなたに答え・・」 エレミヤ33:3

私たちは、自分の思いがあり、強い思いがあるものだ。物事が思う通りに行って欲しい。思い通りになれば喜びがあり、そうでなければ落ち込んでしまう。そのため、目の前に自分の意に反する事態が起きると、状況を変えよう変えようと必死にあらがい戦う。思い通りにしたい。対人関係で、思いと違う状況になると、相手を変えよう変えようと、やっきになる。

 

ある人が、自分の思いがあり、目の前に起きている状況を、何とか変えたいと必死に頑張った。祈りつつ出来る事は何でも試みた。しかしどうやっても、全く変化なく、微動だにしなかった。もうどうにも出来ずギブアップで、主の御前に静まり、ことごとくを打ち明けた。祈っていると、ふっと御言葉が浮かんだ。「神のみわざに目を留めよ。神が曲げたものを誰が真っ直ぐにできようか」というものだった。

 

曲げておられるのは、主なのだと。「え!」と、御心を知った瞬間だった。主が曲げておられるものを、自分は真っ直ぐにしよう、しようと、悪戦苦闘していたのだと。まさに方向違いの戦いだった。その時から祈りが変えられた。状況を変えるのでなく、受け入れる事ができるようにと。受け入れる事は困難だが、「出来ない」からこそ、主に拠り頼み、祈ることが「できる」。

 

祈り続けていると、その祈りは聞かれ、受け入れる事ができるようにされた。すると、あんなに苦しかった心が平安にされた。まず祈ろう。主はなすべき事を教え、導いて下さる。そして出来ないからこそ、祈り、拠りすがろう。

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自分にはわからない。だから祈ろう。自分の思いばかりを見ている事にも気づかせてくださる。未知なる主の御心が背後に隠れている。主を呼ぼう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係