「あなたがたが悲しんで悔い改めたからです。あなたがたが神のみこころに添って悲しんだので、私たちのために何の害も受けなかったのです」Ⅱコリント7:9

信仰生活で、私たちは弱さのために失敗してしまう。誰しも必ず失敗する。失敗しない人はいない。その時に自分の弱さや、過ちに、向き合う事が大切だ。だが、これが難しい。自らの弱さは見たくないし、触れたくない。失敗はつらく、無かった事にしてしまいたい。目をそらしていたい。心の引き出しにしまい込んで、ふたをしておきたい。

 

しかし認める事が、信仰の前進のために必要だ。ユダとペテロが出て来る。どちらも裏切りという大罪を犯した。ユダは銀貨30枚で主を売った。ペテロは裏切るつもりは無かったが、呪いをかけてまで、主を知らないと否んでしまった。ペテロの弱さによる失敗だった。どちらも後悔した。しかし結末が全く違った。

 

ユダは、罪に向き合う事をせず、助けを求めて主のもとにも行かず自ら決着をつけ、命を絶ってしまった。だがペテロは逃げなかった自分の弱さ、罪に向き合った。主の指示に従い、ガリラヤに行った。痛みとつらさを抱えながら、主に向いた。そこで、よみがえりの主に出会い、主の愛と赦しに包み込まれ、回復させられた。

 

新たに主に出会い、立ち直る事ができた。そして、再度、主の働きの任を与えられ、主の昇天後、諸教会のリーダーとして立てられた。私たちも失敗するが、それで終わり、万事休すなのではない。主に向き、過ちを認め悔い改める事ができる。絶望はない。主はいつも再びチャンスを下さる。

 

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大きな事も、些細な事も、よく失敗してしまう。主はあわれんでいて下さる。弱さをご存じで、同情していて下さる。自分で何とかしようとせずに、すぐに主のもとに、恵みの御座に行こう。7度を70倍するまで赦して下さる主の愛を知るようにされる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係