「イエスは、ご自分では、しようとしていることを知っておられたからである」ヨハネ6:6

ある人の子供が、進路での挫折を引き金に、どんどん道をそれて行った。家出し、暴走族グループに入り、問題行動を起こした。薬物で警察沙汰を起こし逮捕された。親は悩み、苦しみ、思い煩い、そしてどうしてこんな事にと、心の内で子供を責めた。怒りが湧き、又、自分も責めて、落ち込んで行く。世間体もズタズタだった。

 

非常な苦しみと悲嘆の中で、主の御前に行き心を打ち明け、悲痛な思いで祈りに祈った。絶望、怒り、落胆、嘆き・・、混乱状態の心の内を、あるがまま主に告げて行った。祈り続けていた時に「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っている」、主のご計画の中に置かれていると語られた。そして「それは災いではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのもの」と。

 

見た目は非常に負の事態だが、将来と希望があると。主はこの事態をも益として下さると。御霊からの言葉を、見えるところは相反するが、信仰によって、すがりついて受け止めた。万事益になると信じようと思えた。その時、現状はぐじゃぐじゃなのに、心が不思議に落ち着いた。そして子供を、あるがまま受け入れるようにされた。

 

変えよう、変えようと必死であった子供を、初めて現状のまま受け入れる事ができた。自分自身が問題であった。砕かれ変えられた。主の力であり、みわざだった。それから子供は変わって行った。時を経ながら立ち直ることができた。御言葉通り、万事益であった。

----------

今はわからなくても、背後には必ず主の摂理があると信じているから試練の中でも、心の底には平安がある。主を見つめ、主を待ち望み、今ある事態を受け止めていこう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係