「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて、他方を軽んじたりするからで す」マタイ6:24

あなたの宝のある所に、あなたの心もある、とあり、自分の宝を地上に貯えるのはやめよとあるが、自分にとってとても大切なもの、価値あるもの、無くては生きて行けないものは何だろう。それが、その人の宝だ。それは富や物とは限らない。ある人には、名誉や社会的地位、才能や仕事、人からの賞賛、評価、自己実現、プライド、又、子供や愛する人だ。

 

自分が執着しているものだが、それは死後、持って行けない。「私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできない」。パリサイ人は、人からの賞賛のため、見せるために自力で善行をした。良い人に見られたく、天でなく、地上に宝を貯えるためだった。それを止めよと言われている。

 

自分の宝は天に貯えよと。「天に宝をたくわえる」とは、主を信じ、自分の力でなく、主の恵みによって生きる事だ。それは日々に、主の喜ばれる事、主の御心を求めて、この地上において自分の思いでなく、御心を行って生きる事であり、今日を天につなげて生きる事だ。

 

「目が健全なら全身は明るい」、目が健全とは二心でなく単一で、あれもこれもと目移りせず、一心に一つのもの、主を、天を見つめる事だ。もし目が濁れば、あちこち目移りし、天に向かず、地のみで全身は暗いままと。地で執着するものがあれば、必然的に目が天に向かない。自分の宝は何だろう。

 

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この世だけに生きると、一瞬の快楽はあるかも知れないが、心の奥は虚しく、あれやこれやとさまよってしまう。極みまで愛し、慈しんで下さっている主を見上げ、この一日も、天につなげた一日であるように、祈ろう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係