「ですから、私たちは聞いたことを、ますますしっかり心に留めて、押し流されないようにしなければなりません」へブル2:1

罪に関して、ストレートな罪はわかる。偶像礼拝、泥酔、姦淫、憎しみ、妬み、偽り・・。だが一見罪ではない、むしろ良いものが要注意だ。気をつけなければ、その良いもので、主との間が隔てられてしまう。食物は必要不可欠であり、体をつくり、健康に保ち、楽しみを与えてくれる。しかし過ぎると暴飲暴食になり、健康を害し、逆に身体を壊してしまう。他のものも同様だ。

 

仕事、音楽、スポーツ・・は良い事であり、娯楽や余暇を楽しむ事は良い事で、決して罪でない。主は楽しみを与えて下さる。ただ、それが過ぎると要注意だ。趣味は、生活に活力と喜びを与えてくれるが、のめり込み過ぎ、それに支配されると逆になってしまう。熱中する余り、主のための時間が無くなるなら、本末転倒だ。

 

それをする事で、更に主に近づくなら良いものであり、反対に霊的食欲が減退して行くようなら、問題だ。人はある日突然主から離れるのではない。少しずつ少しずつ流されて行きながら、気づかない内に、いつしか霊的食欲が全く失せ、他のもので心がいっぱいになっている。悪魔が様々なものをもって誘惑する。

 

ある人が、非常に高額のバイトに飛びついたが、早朝から夜遅くまでの勤務に疲れ果てて、デボーションが全く持てなくなった。経済的には良くても、心は虚しくなるばかりで、辞めてしまった。選択を誤ると元も子も無くなってしまう。すべての事はしても良いが、すべての事が有益とは限らない。今、霊的食欲はどうだろう。 

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気づいたら神から遠く離れていたという失敗を経験する。迷い出ていると気づけるよう、毎日の小さな事の中にも御霊の導きを求めていこう。導きではないと御霊は教えてくださる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係