「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです」ヘブル4:15

救いを受けた私たちは、生まれつきの古い性質と新生した新しい性質が、絶えず葛藤している。天に帰るまでは、霊と肉の戦いの中にある。主は、私たちの弱さをご存じだ。この肉体は疲れ、病気にもなる。主は、私たちと同じ肉体をとって、地上に来られたので、この事をよくわかり同情して下さっている。

 

主は、あなたの弱さをご存じだ。良き理解者だ。だから主の血潮のゆえに、あわれみを受け、恵みをいただいているので、いつでも「恵みの御座」に行く事ができる。私たちは、古い価値観があり、元気な時は、主のためにどんどん働き、主に近いと感じる。逆に心身に弱さを覚え、無力の時はどうだろう。主を遠く感じるだろうか。

 

「何も出来ない者」と悪魔の声が聞こえる。罪を犯すと「同じ失敗ばかりして」「成長がない、だめだ」とひどく落ち込み、ますます主から遠ざかる。御言葉はどう言っているだろう。「あわれみを受け、恵みをいただいて、大胆に恵みの御座に近づこう」。離れるのでなく、近づけと。恵みの御座に近づける根拠は「あわれみを受け」「恵みをいただいて」とあり、「あわれみ」と「恵み」だ。

 

自分の功績、自分の力にはいっさいよらない。行いではない、一方的な愛顧だ。主のあわれみと恵みがあるので、どんなに破れ果てた、ぼろぼろの状態でも、御前に行ける。少しはましになって御前に行こうとするが、あるがまま行こう。主の「あわれみ」と「恵み」をしっかり心に刻もう。

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自分自身の理解が邪魔をして、主の御心と大きく離れていても、なかなか気づかない者だ。今の現状のままで主に向かおう。主が教えてくださる。主のあわれみと恵みの中に何も持たずに行こう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係