「だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり・・」ヤコブ1:13

私たちは、自分の欲に、巧妙に働いて来るサタンに誘惑され、罪を犯してしまう。サタンが出来るのは誘惑のみで、罪を犯すのは自分だ。罪には一瞬の快楽があり、心地良さがある。だからこれほどまでに誘惑されるし、引き込まれる。罪は甘い。罪が苦ければ、誰も見向きもせず、誘惑にならない。罪と戯れる事は、楽しく、快適なのだ。

 

だから巧くサタンに引き込まれてしまう。ほんのちょっとのつもりが、いつしか罪の奴隷になる。飲酒、ギャンブルしかりだ。まず自分は大丈夫と思うところが要注意で、そこで、サタンにつけ込まれる。警戒なく油断していてやられてしまう。ダビデは、部下が命がけの戦いの最中に、夕刻に起き出すという、怠惰な締まりない生活だった。

 

そこを悪魔に狙われ、バテシバの誘惑が来た時、主を仰がず、姦淫の罪へと落ちてしまう。ロトもアブラハムと別れ、ソドムの近くで天幕を張った。町の中ではなく、近くなら大丈夫だと思った。自分さえ、しっかりしていればよいのだと。だが段々ソドムの中に入り込み、ついには影響力を持つ、町の名士になっていた。世と調子を合わせ、妥協した歩みに、娘婿たちは、突然滅びると言われても、冗談だと思った。

 

世にどっぷり浸かり、世の名誉、地位、富・・美味しいところを手にした生き方は、霊的力も影響力も持たなかった。私たちの欲望と合致した魅力的なものを持って、悪魔は誘惑して来る。欲と合致しているので気づけない。祈っていよう。祈りにより御霊の気づきが与えられる。助けられる。

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誘惑は心地良いから試練の入り口であっても祈らずに引き込まれてしまう。誘惑には自力では勝てないと失敗から学ぼう。罪を熟すままにせず主に頼り、助けを求めよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係