「人の子よ。ツロの君主に言え。神である主はこう仰せられる。あなたは心高ぶり、『私は神だ。海の真中で神の座に着いている。』と言った。あなたは自分の心を神のようにみなしたが、あなたは人であって、神ではない」エゼキエル28:2 

主はツロの君主に言われたが、主を仰がず、自分の量りで判断し、自分の価値観で、自分の思い通りに生きようとする時、それは神の座に着いている事だと。それが紛れもなく高ぶりだと言っている。エデンで、エバはサタンから「あなたがたが神のように」なれて、賢くなれると誘惑された。

 

私たちの内にある肉は、自分の思い通りに生きたいし、誰にも邪魔されたくない。高ぶりがある。高ぶりとは、見た目、偉そうにする事、尊大な態度、上座に座る事のように思ってしまい、気づかない。主が、十字架につけられ、三日目によみがえると言われた時に、ペテロは「そんなことが、あなたに起こるはずはありません」と主の言葉を否定し、主をいさめた。

 

すると主は「下がれ、サタン」とペテロに言われ、「あなたはわたしの邪魔をするものだ」「あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」と。ペテロは、人間的な肉の思いでの判断だった。主をいさめたという事は、主よりも自分の思いの方がまさっているとの事で、まさに高ぶりであった。サタンに誘導されていた。

 

私たちも何かを判断しようとする時に、主が無いと、自分の思い、世の価値観、常識、経験値で判断してしまう。「わたしを離れては、あなたがたは何もすることができない」とあり、主を離れては、多くの事をしても、決して御霊の実を結ぶ事が無い。結実の無い人生になってしまう。そして主にとどまる時、多くの実を結ぶと。へりくだって主を仰ぎ、主と一つに歩もう。

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日々、主につながっていなければ、すぐに自分本位に流される。良かれと思うことが主の邪魔をしていないか、いつもへりくだり主に聞いていこう。神の聖さ、正しさ、愛に触れていよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係