「しかし、知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます」Ⅰコリント8:1

人と議論になる事があるだろうか。ある人が、友人と何でもない事を話していたのだが、段々と議論になり、議論が高じて、言い合いになってしまった。何とも気まずい空気のまま別れた。帰宅し、心が重いので考えてみるのだが、自分は正しいと思う。間違っていない。しかし平安が無い。どうしても平安が無いので、主の御前へ行き、思いを打ち明けて祈った。

 

祈りの中で、心の内を見せられた。自分が正しいと思うからこそ、どんどん主張し、すると相手に負けたくないとの思いが出て来る。更に打ち負かしたくなってしまう。そして自分の意見が受け入れられないと、腹が立って、感情的になる。議論には、気をつけなければ、意見を隠れみのに、強い自己主張、自我が出て来る事を教えられた。気づかされた事に感謝した。

 

そして「この命令は、きよい心と正しい良心と偽りのない信仰とから出て来る愛を、目標としています」との御言葉を示され、自分の正しさを主張するばかりで、「愛」が無かったと教えられた。「愛を目標としています」。議論や意見交換する時も、そこに愛があるかどうかが大切だと。

 

「愛をもって真理を語り」とあり、愛をもって正しい事を語る時に、相手も聞くことができて、双方が建て上げられて行く。「愛がないなら、やかしいどらや、うるさいシンバルと同じです」とあり、相手に忠告する時も、何よりも必要なものが御霊の愛だ。御霊の導きにあずかろう。

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御霊によりいつも示され、気づかされることは感謝だ。正しいと思うと声高に語ってしまう。うるさいシンバルだ。誰かのつまずきとならないよう、主の愛を祈って臨もう。

 

  発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係