「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」イザヤ43:4

私たちは新しく生まれ、霊の目が開かれ、主との生きた交わりに入れられた。主との人格と人格の交わりを経験し、日々に交わりを積み重ねながら、少しずつ少しずつ親しく主を知って行き、交わりが深められて行く。「わたしの目にはあなたは高価で尊い」「わたしはあなたを愛している」と言われる主を、時間をかけつつ実感が深められて行く。

 

私たちは、誰が何と言おうと、何があろうと、この主に受け入れられ、愛されているので、喜びがあり、平安がある。しかるにこの世では、人が、自分を量る場合に、「量り」が無いので、量りようがなく、そのため目に見える他人との差異により、自分を量ることになる。そのため生まれた時から、無意識にも人との比較で自分を量って生きて来た。

 

人より劣ると劣等感、人に優ると優越感となる。常に目は横を見るしかないので、自然にそのように自分を量ることになる。そこから解放され、上を見上げて生きる事のできる救いを与えられた、クリスチャンもまた古い性質が残っているので、神を忘れると、すぐさま人との比較に生きてしまう。そこから羨望や妬みが生まれ、心に苦みが生じ、苦しむ事になる。

 

人は自分に無いものを求めると言われている。自分と違う境遇、生育歴、才能、人気・・自分も〇〇のようであればと妬む。しかしそれなら自分を否定する事になり、更には主を否定する事になってしまう。そこには不満、虚しさで、喜びも平安も無い。主の言葉を受けとれるよう祈ろう。嬉しさでいっぱいになり、喜びの中を歩める。

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世に出ればクリスチャンは圧倒的な少数派だ。人とはどうしても違う。人との比較や人との関わりの前に、主との交わりにあって歩みを確かにされる。私たちも主を愛し歩もう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係