「あなたに向かって、私は手を差し伸べ、私のたましいは、かわききった地のように、あなたを慕います」詩編143:6

ここでダビデは「私の祈りを聞いて欲しい」「霊が衰え果て、心は内でこわばった」と言っている。そして「敵は、私のたましいを追い詰め、私の命を打ち砕き、暗い所に住まわせた」と。非常につらく苦しい追い詰められた状況だ。心がこわばるとは、固くなり動かなくなる事だ。余りにもつらい状況で、心がぼろぼろだ。

 

私たちも信仰人生で、打ちひしがれてしまい、身動きもとれない、どうにもならない状況を経験する事がある。心が固まってしまい、動かなくなってしまうほどの、大きな苦しみに遭遇する。ここでダビデは霊が衰え果てた時に、どうしたかが記されている。昔の日々を思い出し、主がなさった一つ一つに思いを巡らし、主の御手のわざを静かに考えたと。

 

深い落ち込みの中で、以前の祝福、奇跡のわざ、主がされた事を思い起こした。主と向き合って、静まる事、静かに考える事が大切だ。以前受けた一つ一つの恵みに、必ず今一度、引き上げられて行く。確かに感謝が生まれる。そして祈りが大切だ。「行くべき道を知らせて下さい」「あなたのみこころを行うことを教えて下さい」「私のたましいを苦しみから連れ出して下さい」と祈っている。

 

霊が衰え果てるほど苦しい時には、主の御前に静まり、祈りと共に、これまでの主の恵みを、して下さった事を思い起してみよう。感謝へと導かれ、喜びが戻って来る。そして御心を求めて祈る時、行くべき道を示し、導いて下さる。

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どうにもならない状況にあっても心の底には主の平安が静かに流れている。主を求め、助けられ、試練の中にも慰めを受けた経験を御霊は思い起こさせてくださるからだ。試練の時こそまず静まろう。 

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係