「義を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます」ヤコブ3:18

平和は、あるか、無いかのものではなく、「つくる」ものだと言っている。平和はつくる事が出来て、つくる人は幸いだと。平和の使者になるには、まず自分が平和を持っている必要がある。主によって平安にされていることが大切だ。自分の内側が、赦せない思いや、憎しみ、処罰感情、敵対心、復讐心で満ちていたらどうだろう。

 

人間は、自分のつらい状況を誰かのせいにし、その人を攻撃し、心を落ち着かせようとしてしまう。怒りや不安を収めるために、どこかに攻撃先をつくりたい。しかし、ますます自らを傷つけるばかりだ。平和をつくるには、人との平和の前に、主との平和を持つ事が重要だ。「もし、わたしのとりでにたよりたければ、わたしと和を結ぶがよい」。

 

主と自分の関係はどうだろう。妨げなくスムーズだろうか。妨げが無いだろうか。悔い改めていない罪、御心に従う事を拒んでいたり、又、ぐずぐずと従う事をなおざりにしている不従順はどうだろう。自分自身がまず、主との関係を正しくされる事が大事だ。罪や不従順は悔い改める事ができる。そして主は悔い改めた罪をいつでも豊かに赦して下さる。

 

何という恵みだろう。赦されて、赦されて生きて行ける。罪が赦されて、主との関係が正しくされると、通り良き管として主が平和をつくるために用いて下さる。周囲を平和にして行ける。自分の力で平和をつくるのではなく、主があなたを用いて、周囲に御霊の平和をつくって下さる。

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妬みや敵対心があるとつい自己主張したくなるが、逆に誇ってはいけないと言われる。へりくだり主との交わりを通して知恵をいただこう。争いの多い世にあって平和の種を蒔く者になろう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係