「サウロは教会を荒らし、家々にはいって・・次々に牢に入れた。他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた」 使徒8:3

サウロは神のためと信じきって、熱心にキリスト者を捕らえていた。ステパノ殺害にも賛成していた。ステパノの御霊に満たされた証しを目の前で見て、サウロは憎悪に燃えた。キリストを神とし救い主とする、キリスト者は赦し難い存在だった。激しい怒りと敵対心、憎しみは増幅し殺害の意を固くした。

 

ステパノの厳粛な殉教により、更に迫害は激しさを増し荒れ狂った。サウロは教会を次々と荒らし、家々に入って、容赦なく人々を引きずり出し、投獄した。そのため信徒たちは、四方に追いやられ、あちこちへ散らされて行った。皆が、散り散りバラバラになってしまった。ではこの厳しい迫害の苦難で、信徒たちは絶望、意気消沈して、教会は壊滅して行ったのか。

 

ところが、そうではなかった。あちこちに、散らされた信徒たちは、何と「みことばを宣べながら、巡り歩いた」。結果的に見れば、この迫害による離散によって、返って福音が拡大して行く事になった。信仰の火が消えるどころか、ますます燃え上がり信仰が強くされ、福音が四方八方に拡がった。私たちも、形は違うが同様に、「なぜこんな事が!」「なぜこんな苦しみが?どうして?」との突如の事態が起きる。

 

しかし一見、マイナスのその事が、理解を越えた大きな祝福へと結実して行く。そして信仰が堅くされ、成長へと導かれる。目に見える所でなく、主を仰いで、信じて、苦しい中も従って行こう。ご計画があり、その先に、思いを越えた祝福が用意されている。

------------

困難が自分の身に及んだら、マイナスはマイナスにしか見えない。最悪の結果に怯えるばかりだ。それが自分の限界だと、悩むのをやめ、全てを支配しておられる主に信仰の目を向けてみよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係