「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です」 詩編119:105

ある牧師の証しだ。大災害で、会堂も住居も失ってしまった。何一つ持ち出す事も出来なかった。何よりも大切な聖書資料や学びの資料、注解書、信仰書何もかも失った。何もかもすべてを失ったが、とにかく避難できて、自分も家族も命が守られた。奇跡だった。避難所に身を寄せ、身に起こった事を祈りに持って行き、切に祈った。その時に御言葉が、まさに臨んで来た感覚だった。

 

「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」。御言葉の力を経験した。主が語られた。「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう」、真にその通りだと、「アーメン」だと思えた。すべてを失い、先の事も見えないが、心は不思議な平安で満たされた。

 

ある人は会社が倒産し、貯えもなく、途方に暮れた。どうしてよいかわからない。とりあえず、懇意にしている親戚に、まとまったお金を借りようと思った。昔からの信頼関係があり、貸してもらえるだろう。しかし、いつも教えられているように、とにかくまずは祈ろうと、祈りの時を持った。祈ると「神の国とその義とをまず第一に求めなさい」と語られた。

 

「そうすれば、これらのものは与えられる」と。人に頼るのではなく、主に頼るようにと。それで生活の必要が与えられるよう、切に主に求めた。すると以前まとまったお金を貸していた友人から、やっと返せるようになってと返済が来て、職が与えられるまで、必要が満たされた。

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御言葉の中に慰めと力があり何より安全がある。流されそうな状況でも、ひとつの御言葉が与えられると、よろける足元は照らされ心は立ち上がる。そして光を頼りに歩める。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係