「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい」ピリピ2:3

中世は天動説だった。惑星の軌道が膨大に複雑で理解不能だったが、コペルニクスが地動説を打ち立てた。天動説は、地球が中心で天体の動きを見ていた。だから理解不能だった。しかし地動説は、地球は、太陽の周囲を回る小惑星だ。地球が宇宙の中心なのではない。そうすると、すっきりし説明がついた。私たちの霊的生活も同様だ。

 

世界の中心が自分で、自己を中心に置くと、次々と悩みとトラブルにぶち当たる。対人関係でもギクシャクし、問題が起きて、あちこちに頭をぶつける。自己中心から問題が起きている。周囲を思うように動かそうとし、つまり自分の思い通りに生きたい。そこにまさつが生じる。

 

そして問題が起きると相手が悪いと信じて疑わない。思い通りにならない相手を責めて行き、あの人、この人さえいなければ、人生快適なのにと。だが、自己中心からあらゆる問題が派生している。怒りが沸く時、妬みが起きる時どうだろう。そこに高ぶり、利己心、自己愛があり、そこから罪が生じて来る。

 

どうすれば良いのか。自己中心の自分を、主に明け渡して行く事だ。キリストが心の王座に来て下さる時に、主のお心はどうなのか、何を喜ばれるのか、主はこの事をどう判断されるのか。自分の思いを通すのでなく、主を求めて行く。主を第一にして行く時に、御心にかなった歩みへと導かれる。そして心は御霊の喜びが来る。

 

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周囲と摩擦がさつが起きる時、自己中心ではないか、虚栄ではないかと主の御前で、心を探っていただこう。御霊が心の奥に光を当てて気づきを与えて下さる。悔い改めや、なすべき事を示して下さる。御霊の示しに従おう。平安へと導かれる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係