「しかし、バビロンの王のくびきに首を差し出して彼に仕える民を、わたしはその土地にいこわせる」エレミヤ27:11

イスラエルはアッシリヤに滅ぼされ捕虜として連行された。バビロンが、そのアッシリヤを滅ぼし、国々を滅ぼし、ユダも、バビロン捕囚の身となった。当時のユダは神から離れ、堕落し、偶像礼拝に陥っていた。しかし預言者たちは、人に耳ざわりの良い、心地良い言葉を語り、平安が無いのに「平安、平安」と言っていた。

 

そんな中、神の人エレミヤは、真っ直ぐに神の言葉をそのまま語った。それは民には痛い言葉だった。バビロン捕囚のさ中、苦難の真っ暗な中で、エレミヤは、それは一見「災い」としか見えないが、「平安と将来と希望」のためのものだと告げた。すぐに解放にはならないので、その地で落ち着いて、腰をすえて生活せよと。

 

そして敵である「その町の繁栄を求め、そのために主に祈れ」と。それは自分たちの繁栄になるからと。私たちも苦しみの時に、一番欲しい言葉は「即、悩みの解決」だ。苦しみから、即、解放されたい。しかし、虚しい励ましは、更に傷を深める。私たちも、足かせの苦しい現状を受け入れる時、主が共におられ、その中で主からの支え、助け、導きにより生きて行ける。

 

現状を受け入れる事が大切だ。避けて、逃げるのでなく、受け入れる時に、主の平安と憩いを経験する。苦しみのままでなく、「70年の満ちる頃・・帰らせる」。神の時に、かせから解放される。

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問題が長引くと現実が重くのしかかってくるが、主が背後におられることを知っている。現実の対処法を省みてみよう。受け止められるよう祈りを変えてみよう。置かれたところで神の時を待ち望もう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係