「・・実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます」ヨハネ15:2

木々を育てる人々は、せん定の重要さを知っている。刈り込みが豊かな実を結ばせる。枝から茂った葉に余分な養分が流れるのを防ぐので、その養分が実に行き、立派な、豊かな実がなる。信仰生活も同様だ。主は私たちを刈り込まれ、出っぱっている所を切り込まれる。それはプライドや虚栄心や自己中心、貪欲、高ぶりかも知れない。

 

はさみで切り込むので、必ず痛い。苦痛が伴う。プライドが強ければ、プライドが傷つく事態が起きる。自分の思い通りに歩んでいると、思い通りにならない事態が起きて、行き詰まる。又、主以外のものに拠り頼んでいるなら、それを刈り込まれる。心に偶像があるなら、切り込んで下さる。

 

日々に、様々な出来事が起きるが、その時に、自分は何に反応するのか、何に痛みを覚えるのか、自我にどう触れるのか、御霊に導かれて探ってみよう。そこに何かがある。プライドか、偶像か。主は、私たちを切り込み、砕き、聖めて、御霊の実を結ばせて下さる。刈り込みこそが、豊かな実を結ばせて行く。

 

主にとどまる私たちは、「わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよい」、罪赦され、義と認められ、御前にきよい者として歩ませて下さる。そして内住の御霊は、様々な出来事を通して、御言葉を通して、刈り取りの砕きにより、ますます聖めて行って下さる。そして、生活に喜びと平安が溢れ出て来る。

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愛と目的をもって主は刈り込みをされる。思い通りに伸び放題の枝ならばっさりと落としていこう。最近、何に反応して痛みを感じただろう。注目してみよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係