「彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた」イザヤ53:5

ある夫婦の子供が、早産で生まれ、育たずに亡くなってしまった。医療も今のように進んでいなかった。しかし夫は、後悔で、くずおれた。大変若くして結婚したので、まだまだしたい事も多く、遊びたくもあった。そのため妻の妊娠に拒否反応で、喜べなかった。夫婦で楽しみにしていたあのスポーツ、この旅行、様々キャンセルとなった。

 

数々の制約に欲求不満で、子供はいつかは欲しいが、しかしもっと先で良かったと、ずっと不満だったのだ。楽しくなかった。そのため子供が亡くなった時、子供が死んだのは自分のせいと、自分をひどく責めて苦しんだ。後悔で涙が止まらなかった。

 

幾ら周囲に、あなたのせいではないと、慰められても、そのとがめ、罪責感は無くならず、胸の痛みはどうにもならなかった。ずっと引きずり、心に影を落とした。その後、主に出会い、苦しみ、後悔、とがめ、思いの何もかもを告白して行った時、初めて心のいやしを経験した。あんなに苦しかった心に平安が満ちた。

 

ある人は、つらい対人関係があり、余りにつらく当たられ続け、それは恨みとなって心に積もった。心は憎しみで一杯で、重苦しく、つらくてたまらなかった。主は、少しずつ少しずつ手を取って導いて下さり、相手はどうであれ、自分の憎しみや怒りは、自分の責任と受け止め、悔い改めに導かれた。

 

その時に、あれほど苦しかった心に平安が臨んだ。この平安は何ものにも代えられない平安で、感謝が溢れた。

-----------

苦しい時、主を呼ぶ以外に何が出来るだろう。どこにいても主は御霊を通して教え、導き、満たしてくださる。あの苦しみがあったから主と出会えたと心から言える日がくる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係