「主はヨシュアに仰せられた『見よ。わたしはエリコとその王、および勇士たちを、あなたの手に渡した』」ヨシュア6:2

ヨシュアに導かれた民は、ヨルダン川を渡り、約束の地カナンに入った。そこにはエリコの城壁がそびえ立っていた。難攻不落のエリコの城壁を陥落させるために、主は不思議な方法をヨシュアに示された。黙って、一日一回町を回り、七日目に七度回って、大声でときの声をあげよと。常識では考えられない方法だった。

 

しかしその通りに従い、最後に時の声を上げると、城壁が崩れ落ちた。奇跡が起きた。目に見える状況を見て、良い方法で対処するのでなく、主からの言葉を受け取り、信仰を持って、その通りに従うと、主のみわざを見る。つまり、私たちが主の奇跡を見るのは、自分の思いと方法で事をするのでなく、どこまでも御声を聞いて信じて従った時だ。

 

その時に主の栄光が現れる。サタンは目に見えるところを見せて、恐れさせ、思い煩わせ、失望落胆させる。私たちは、見えるところを見て、飲み込まれてしまい、心が囚われてしまう。思い煩い、不安にさいなまれ、落ち込む。しかし信仰は、目に見えるところでなく、御言葉の方を真実とし、御言葉を選び取る。

 

御言葉のほうを方を信じる。見えるところと正反対、常識に合わず、経験値と違っても、「私たちは」御言葉に従うことだ。すると、「主が」城壁を崩される。常識であり得ない事が実現する。今、示されている御心があるだろうか。御言葉を信じて、一歩を踏み出そう。あなたの手に渡されている。

 

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主はすでに戦う前に、勝利を宣言され、勝利が定まっていた。不思議な、理解出来ない方法だったが、従った時、勝利した。理解出来なくても、示しに従おう。又、祈りにおいても、なかなか答えられず、閉ざされいるように見えても、祈り続けよう。城壁は崩れる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係