「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、たましいの砕かれた者を救われる」詩篇34:18

「主が私たちを用いられるために、砕きを通される。聖書の様々な箇所で学ぶ事ができる。ヤコブの息子ヨセフもそうだった。父親のえこひいきにより、12人の息子の中で、特別に可愛がられた。そのため他の兄弟たちは、ヨセフをひどく妬み憎み、殺意へと及んだ。だが殺害を思いとどまり、奴隷として商人に売った。

 

家族から離され、一人異国の地へ。寂しさと孤独、不安、恐れだったろう。しかし主はそこでヨセフを砕かれ、訓練され、整えて行かれた。奴隷から囚人まで、波瀾万丈の時を経て、総理大臣に立てられ、結果的に飢饉の折りにヤコブ一族の命を救う事になった。紆余曲折の中でヨセフは砕かれた。

 

モーセも王子として育ち、あらゆる学問を学び、文武両道、地位、名誉、富、人脈、何もかもを手にし、自信に満ちていた。そのモーセは逃亡の末、荒野で羊飼いとなり、40年の歳月を経た。モーセは砕かれた。そんなモーセを主は、民の出エジプトの指導者として用いられた。主は必ず器を砕き、訓練され、へりくだらされ、身を低くさせられる。間に合う器に整え、そして用いられる。

 

しかしその時、自由意志を妨げられる事はない。強いられない。もし従うならそのようにされ、拒むならされない。主の恵みの砕きがありながら、心を固くし、頑なになり受け入れない事もできる。その時ますます心は固くなってしまう。様々な痛い事態は、砕きと受け止めよう。必ず一歩一歩成長を遂げて行く。

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前から来る問題を避けながら平安だと言う事もできるが、自分は何も変わらない。いつまでも成長して行きたい。そしてダビデのように、あらゆる時に主をほめたたえ、主の素晴らしさを味わおう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係