「祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります」マルコ11:24

祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信ぜよ。そうすれば、その通りになると、素晴らしい約束が与えられている。しかし、次に続く言葉がある。「恨み事があったら赦してやりなさい」と、赦す事が強調されている。赦さない心は、祈りを妨げてしまうと。祈りが聞かれない。主があなたを赦して下さったのだから、恨み事のある相手を赦しなさい、と。

 

私たちはよく失敗する。ミスを犯すし、罪を犯してしまう。しかし主は豊かに赦して下さっている。罪を犯さないのではなく、罪は犯すが、赦されて赦されて生きている。それだから私たちも相手を赦すべきだと。日常生活でどうだろう。まず恨みや憎しみや赦さない心があると、祈れなくなってしまう。主と私たちの間に距離ができて、平安が無い。すると確信もった祈りができなくなる。

 

あなたも経験あるだろうか。ある人が、切迫した必要があり、主の御前に祈っていた。しかし幾ら祈っても答えがない。なおも祈るが答えが来ない。それで心探られる中、ある人に対し、心の底に恨みと赦せない思いを根深く持っている事を示された。これが妨げである事がわかり、心から悔い改めた。そして赦した。

 

その後、見事に祈りの答えを見た。密かな恨み、赦さない心は祈りを妨げてしまう。妨げが取り除かれる時、主との間が正しくされるので、平安が与えられ、すでに受けたと信じる事ができる。そして答えを得る。まず赦せない心を認め、主に告げて、赦せるよう助けを求めよう。

 

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祈りが答えられる事と、人を赦す事がセットになっている。赦さない心は祈りを妨げてしまう。恨みや憎しみの苦い根が心の奥にないだろうか。御霊に心を探って頂き、悔い改めにより、苦い根を引き抜こう。そして祈りの答えを頂いて、喜びに満たされよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係