「そこでイエスは言われた。「十人いやされたのではないか。九人はどこにいるのか」ルカ17:17

10人のらい病人が、主のもとに来た。遠く離れた所に立って、大声であわれみを求めた。当時、らい病は汚れた病気で隔離されていた。人々との接触は許されず、「私は汚れた者です」と自分で言わなくてはならなかった。病気の苦しみの上に、社会生活はできず、精神的な孤独、悲しみ苦しみがあった。宗教的にも汚れた者であった。必死の思いで主にすがって来たであろう。

 

「どうぞ、あわれんで下さい」と叫んだ。主は、彼らをあわれみ、癒やされた。すると10人の内、1人だけが主のもとへ戻り、9人は戻って来なかった。病気が完全に癒やされ、社会復帰ができて、自由だ。普通に生活ができる。生けるしかばねのようであった彼らからすれば、何と夢のような事だろう。9人は、ラッキー、幸運、良かったと、世の中へ帰ってしまった。

 

彼らにとっては、飛び切りの幸運で偶然の事態であった。そこに神は無かった。1人だけが戻り、大声で主をほめたたえ、主の足もとにひれ伏して感謝した。主への感謝で一杯で、賛美と喜びだった。そこに主を認め、主を崇めたのだ。彼だけが、全く新しい信仰の人生に入った。

 

「あなたの信仰が、あなたを直したのです」彼は主の愛を体験し、救いを受け、主の愛の中を生きて行く人生が始まった。何が大切なのだろう。病気が治る事だろうか。本当の幸せは「世の終わりまでいつもあなたと共にいる」、この事だ。その幸いな人生へと招いて下さっている。苦しみの時も喜びの時も、主と生きて行ける事が、真の幸せだ。

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与えられたものを喜ぶのではなく、与え主である主を喜びとしよう。問題が解決したら一直線に世に帰って行くなら、また次の問題に翻弄される。いつも共にいる主を喜びとする生涯を歩もう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係