「彼らはシュルの荒野へ出て行き、三日間、荒野を歩いた。彼らには水が見つからなかった」出エジプト15:22

モーセに率いられた民は出エジプトの際、男子だけで60万人、女子供を入れると200万ほどだろうか。大変な人数だ。葦の海から旅立ち、3日間荒野を歩いた。彼らは水が見つからず、水を探した。マラでようやく水を見つけたが、それは非常に苦くて飲めなかった。そのいら立ちと不満はモーセに向かった。

 

モーセの素晴らしいところは、そのまま民に対応せず、それをまず一旦主に持って行った事だった。自分の思いと力で、どうこうしなかった。モーセが主に祈ると、一本の木が示された。それを水に投げ入れると、苦い水が甘くなった。その水は民をうるおした。「その所で彼を試みられた」これはまた、民だけでなく、モーセへの試みでもあった。

 

突然の試練で、主に聞き従うかどうかを試された。民はエジプトを出て、そのまま真っ直ぐ進めば、カナンまで2週間程のところ、不信仰により荒野へと南下する事になった。そして40年間荒野をさまよった。これは、主が、民を様々な試練を通し、訓練し、整えるためであった。信仰を培い、成長させ、主に従って生きる事を身に着けさせる、その歴史であった。

 

私たちも同様に、試練の荒野を通る。様々な苦しい問題や悩みを通り、試され、砕かれ、練られ、鍛えられる。そして信仰者として整えられて行く。主に信頼し、御言葉により生きる事を身に着けられて行く。その荒野の間、主はずっと天からマナを降らせられた。主に従うなら、すべての必要は必ず備えられ、満たされる事を見せられる。

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神は一人一人を特別な取り扱いをもって導かれる。誰とも違う試練の荒野は孤独だが、絶えず神はご自身の存在を示してくださる。試練の中で神だけが養い、癒し、整えてくださるお方だとの深い確信が与えられる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係