「子どもらよ。今、私に聞き従い、私の言うことに心を留めよう」 箴言7:24

主に従うためには、主に目を向け、従おうとの意志をもって選択が必要だ。信仰はオートマチックではない。自動的に従えるのではない。没個性や没人格になるのではない。ロボットや操り人形ではない。意識して、肉とサタンを退け、御霊の導きの方を選択し、御霊に拠り頼んで行く必要がある。

 

主が、私たちの意志を無視して、何かされる事もない。意志には触れられない。従うか、従わないのか、自らの選択にかかっている。だから主を選ばず、罪を犯した時の責任は自分にある。神や人に転嫁する事は出来ない。日々の生活を、自分自身を顧みることが大切だ。

 

全く顧みることのないまま、日々の忙しさに流されて、主との交わりから遠ざかっているだろうか。御霊の示しを、なおざりにしてしまっているだろうか。方向変換し、主の導きの方へ足を向ける事が大切だ。祈りっ放しでよいのでなく、祈った結果、実際に行動する事が大事だ。今、主の御心に、自分の足を向けるよう言われているだろうか。

 

具体的に従うように導かれているなら、実行しよう。詩篇には「急いで、ためらわずに」従ったとあり、ぐずぐずしていると、そこにサタンが来て、従えなくされてしまう。今日、意志を向けて、示された事に聞き従おう。祝福が備えられている。

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朝に御言葉を聞いても立ち上がるといつもの生活がある。どこに焦点を当てて生活しているだろう。主の御言葉を留めて従っていこう。御言葉をたくわえ、守って生きよと主は言われる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係