「ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。カナン父ハムは、父の裸を見て、外にいるふたりの兄弟に告げた」創 世記9:21

ノアの箱舟の出来事の後、箱舟から出て来たノアの息子たちはセム、ハム、ヤペテであった。ノアはぶどう畑を作り始めた。そしてぶどう酒を飲んで、天幕の中で裸になっていた。酔っ払ってしまい、気のゆるみがあったのかも知れない。息子のハムはそれを見て、外のセムとヤペテに告げた。ハムは父のぶざまな姿に軽蔑や批判の思いを持ち、笑い者にするかのように二人の兄弟に告げた。

 

しかしセムとヤぺテは、着物を持って来て、自分たち二人の肩にかけ、後ろ向きに歩いて行って、父の裸をその着物でおおい、顔をそむけて、父の裸を見なかった。肉の性質は、人の失敗や弱さを暴き、あげつらい、辱めようとするが、愛はそのようにしないで、人の弱さや失敗をおおう。ノアは自らの裸をおおった二人の息子を祝福した。

 

「神がヤぺテを広げ、セムの天幕に住まわせるように」と。「何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです」とあり、主は十字架で、私たちの罪をおおって下さった。主の前に、律法学者とパリサイ人が、姦淫の女性を連れて来た時、彼らは、モーセは姦淫の者を石打ちに命じているが、あなたはどうするのかと詰め寄った。

 

群衆は好奇心で見ている。主は「罪の無い者が石を投げよ」と。人々は全員去った。その女性に「わたしもあなたを罪に定めない。今から決して罪を犯してはならない」と。主は罪をおおわれた。私たちも、主により罪をおおわれた者だ。

 

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姦淫の女性の罪は完全に赦され、逃げた人々の罪はそのままだ。主のもとで、「あなたを罪に定めない」と、どんな罪も赦され、おおって頂けるとは何と感謝な事だろう。何もかも赦された者として、今、誰かの失敗をおおうように言われているだろうか。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係