ある人が、大事なテストの際に、カンニングをしてしまった。良心のとがめを感じ、心に影を落とした。ずっと心が苦しかった。誰にもどうしても言えず、心が暗いまま、悩んで悶々としていた。主を信じてはいたのだが、余りよくわかっていなかった。しかしこのどうにも出来ない瀬戸際の中で、生まれて初めて必死に叫び祈った。
真剣に主に助けを求めた。その時に、詩篇の御言葉に触れた。「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこからくるのだろうか」今の自分にピッタリ重なり、まさに自分の事だった。そして「私の助けは、天地を造られた主から来る」と語られ、答えを下さったと思った。心がすうーっと楽になった。
主が共におられる事が感じられた。あんなに苦しかった心が落ち着いた。そして担任に正直に話せた。心が安堵と喜びで満ちた。失敗をしてしまったが、この事を通して、頭の信仰だったのが、御霊により主に触れた初めての経験とされた。主のあわれみであり、自分自身が大きく変えられて行った。
問題や悩みや苦しみに出会うのだが、振り返る時、その悩みを通して、主を切に求めるようにされ、主に近づけられた。霊の目が開かれて行った。これからも問題は通るが、主から離れず、主のもとにいるなら、必ず助けがあり、支えと導きがあり、更に主を知る者とされて行く。
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自分で対処出来る事であれば、自分でしてしまっていて気づかない。しかし、自分で全く何もどうにも出来ない、お手上げ状態である時、主にすがらざるを得ない。主に拠りすがる時に、初めて主がわかる。振り返ると、主に最も近かったのは試練の時だった。、
発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係