「悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい」エペソ6:11

主は、十字架の時が来た事を知られ、今まで愛し導いて来た弟子たちに、「その愛を残るところなく示された」。自分の弟子たちを「極みまで愛され」「愛し通された」。それで、主は手ぬぐいを腰にまとい、弟子たちの足を洗われた。そこにユダもいた。今から裏切るであろうユダの足を、知った上で洗われた。ユダをも最後まで、極みまで愛し通された。

 

ペテロも主を裏切った。3度も呪いをかけて誓い「あんな人を知らない」と。そしてユダとペテロの裏切りは有名だが「弟子たちはみな、イエスを見捨てて、逃げてしまった」。弟子たちも皆、主を見捨てて一目散に逃げた。それも予めわかった上で、主は愛し通され、弟子たち皆の足を洗われた。

 

そして主の死後、ユダはひどく後悔したが、主のもとへは行かず、主に頼らず自分で始末し、更に罪を重ねてしまった。ペテロも同じく後悔したが、主のもとにとどまり、悔い改めた。他の弟子たちも、復活の主のもとへ戻った。「ユダにサタンが入った」とあり、悪魔は勝手には入れない。本人の意志を妨げる事はできない。ユダは悪魔の方を選んだ。徐々に心を開き受け入れた。

 

主はユダを愛されたが、ユダは主を選ばなかった。自分の思いの主と違ったのだろうか。主のそばで3年間御言葉を聞いた。主のわざも見た。御言葉も知った上でのユダ自らの意志だった。ペテロは後に「悪魔が食い尽くすべきものを捜し求めて、歩き回っている」と。サタンとの戦いであり、目を覚まし祈っているよう警告している。

 

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サタンは執拗に誘惑を仕掛けてくる。サタンだと気づけるように、朝毎に、識別のために祈っていよう。ユダは、失敗した後、主のもとへ行かずに、罪に罪を重ねてしまった。失敗した時は、すぐ主のもとへ行こう。主は豊かに赦して下さる。何という恵みだろう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係