「しかし、バビロンの王のくびきに首を差し出して彼に仕える民を、わたしはその土地にいこわせる」エレミヤ27:11

主も「わたしのくびきを負って、わたしから学べ」と言われた。くびきとは、板に穴が二つ開いていて、二頭の家畜の頭部を入れるもので、二頭を同じ方向へ進ませるためだ。くびきは、その穴に首をきちんと入れると、締め付けられず、窮屈でもなく、快適で心地良い。が、くびきを嫌がり、もがくと首が締め付けられる。くびきを逃れようとするなら、更に締め付けられ、痛くてつらいものとなる。

 

これさえ無ければと思う、自分を非常に苦しめるものとなる。あなたにとって、くびきはどちらだろう。民のバビロン捕囚の際、長くなるので、地に足をつけてその地で生活するようにと。バビロン王のくびきに首を差し出し、彼とその民に仕えよと。自分のくびきを「受け入れ」しっかり負う時、そのくびきは平安と喜びをもたらす。

 

しかし受け入れず、もがく時、それはきつく首を絞め、ただ苦しめられるものとなる。もし、くびきを受け入れ難いなら、そう出来るよう祈る事ができる。主は助けて下さる。ある人は、状況が受け入れられず、苦しいばかりだった。どうしても受け入れられない。心は重くつらく苦しい。もがいて悶々状態だ。

 

もう瀬戸際に来て、「どうにも出来ず、もうぼろぼろです、助けて下さい」と叫び祈った。ギブアップの祈りに答えられ、主の助けが臨んだ。くびきを受けれ入れる事が出来た時に、心は自由にされる。

 

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くびきを嫌がり、反抗すると、それは自分の首を締め付けるばかりで、更につらく、苦しくなる。ただ痛いばかりだ。自分のくびきは何だろう。くびきを受け入れ、しっかり負う時に、それはむしろ安らぎと憩いを与えると。そしてそのくびきは負いやすく、軽いと。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係