「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです」ヘブル4:15 

私たちの主は、私たちの弱さをご存じだ。弱さを裁き、責められるのでなく、理解し、同情して下さっている。何と有難い事だろう。身体は弱さを覚えるし、病気にもなる。主は肉体をとって、地上に来られたので、疲れ果ててしまう身体の弱さもよくわかって下さる。弟子たちと向こう岸へ渡る時、湖上の舟のともで、嵐のまっただ中も熟睡されていた。

 

それほど身体が疲れておられた。又、身体と共に、内側の弱さもご存じだ。憎しみや敵対心、妬み、赦せない思いは、苦しくつらい。それらを正直に主に告げて行こう。主は導いて、その苦しみつらさから自由にし、解き放って行って下さる。又、罪を犯してしまった時、御前に悔い改めるなら、豊かに赦して下さる。赦しを受け取ろう。平安が戻る。

 

又、私たちは、しばしば試練を通る。試練は非常に苦しくつらいが、主も共に苦しんで下さっている。「彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、ご自身の使いが彼らを救った。その愛とあわれみによって主は彼らを贖い、昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた」、その苦しみを理解し、わかって下さっている。

 

主は、恵みの御座へと私たちを連れて行って下さる。「あわれみを受け」「恵みをいただいて」、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうと。そこには、時ピッタリの助けがあるからと。近づく根拠は、自分の力、功績でなく、主の「あわれみ」と「恵み」だ。何と感謝な事だろう。

 

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弱さに同情して下さっているとは、何と救われることだろう。誰しも弱いし、弱さを持っている。それを責めず、裁かず、受け止めて下さっている。そして主のもとに行くなら、折にかなった助けを下さると。いつも主のもとに、あわれみと恵みがある。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係