「神はバラムに言われた『あなたは彼らといっしょに行ってはならない。またその民をのろってもいけない。その民は祝福されている からだ』」民数記22:12

バラムは、モアブ王バラクに、イスラエルを呪うようにと頼まれた。その時、バラムは神の御心がはっきりと告げられた。彼らと一緒に行ってはならない、呪ってもいけない。その民は祝福されているからと。主の答えだった。しかし更なる使いが来た。その時に、バラムは「主が、私に何かほかのことをお告げになるかどうか確かめましょう」との態度だった。

 

御心は、すでにはっきりしているのに、それ以上何を確かめる事があろう。次には、従うことがあるだけだ。示された事を実行する事が御心であり、求められている事だ。だが、私たちも同様の事をしていないだろうか。結局のところ、神の御心というのは建前で、自分の思い通りの事を、都合の良い事を言って欲しい。求めているのはその事だ。

 

ある人が、ありとあらゆる偶像を巡りに巡った。自分の求めている答えを得るまで、拝み屋を次々と回り歩いた。その人は答えがすでに決まっていて、承認印が欲しい。私たちもしばしば、導きを求めているのでなく、承認を求めている。自分の思い、自分のしたい事はすでに決まっていて、どうしても遂げたい。

 

御霊は、気づきを与えて下さる。あなたも御心を示されているのに、なおも祈っている状態だろうか。行動に移したくないので、ぐずぐずしているだろうか。その示された事柄に、信仰もって従おう。その一歩に従うと、次に展開がある。まず目の前の御心に従う事が大切だ。

 

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バラムは、本音は行きたかったので、他の事をお告げになるか再度聞こうとした。主の御心どうのでなく、自分に都合の良い答えが欲しい。又、御心が示されているのに、ぐずぐずする。自分の内にもある肉に、気づける事が感謝だ。主に助けを求める事ができる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係