「わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い」イザヤ55:9

35階のビルの入口に立って、地上からビルを見上げる時、そのビルと近隣が見えるだけだ。しかし、ビルの最上階に行き、そこから景色を眺めるならどうだろう。遙か彼方の地平線まで見える。遠方の景色まですべてが展望できる。有限な私たちは地上で見ているごとく、ほんの目先の情報でしか、物事を考えられないし、判断できない。

 

様々な計画を立てるにしても、近視眼的に、目の前しか見えていない。遙か先の事は見えないし、明日の事すらわからない。しかし永遠であり、全知であられる主はどうだろう。明日も、私たちの将来も、行く道も何もかも見通されていて、完全にご存じだ。私たちよりも遙か先を見た上で、今の状況を導き、配慮して下さっている。

 

自分はこの考えは絶対だ、この計画は絶対だと思う。自分軸で見るので、そう思えてしまう。そして、自らが立てた計画通りに事が運ぶように願う。だがその通りでなく、思い通りにならないと、焦り、イラ立ち、不安になり、思い煩う。ところが、遙かに高い主の前では、自分の計画は絶対ではないかも知れない、そのへりくだりが必要だ。

 

しばしば主のみ思いと自分の思いに、大きな隔たりがある。主は私たちの事も、将来も、周囲の事をも配慮し、最善をして下さる。そして全主権を持たれる主は、愛なる主だ。しばしば思い通りでない事態を通るが、愛なる方が、ご自身の計画されている最善へと導いて下さる。

 

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自分で何とかしようとしている時は、問題の全部が、自分の肩にかかっている。重くのしかかり、思い煩いでいっぱいだ。高層ビルの最上階、遙か以上から見られる、全知全能の主に、おゆだねするなら、どんなに安堵で平安だろう。肩から重荷が落ちてしまう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係