「わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。喜びおどりなさい」マタイ5:11

クリスチャンは、時に、信仰ゆえの試練に会う。信仰のための苦しみがある。だが自分の未熟さ、欠点ゆえにトラブルを起こし、周囲に迷惑をかけて、苦しみを招く。これは信仰ゆえの苦難ではない。誰でも、礼儀に反する事をするなら嫌われるし、自己中心に歩めば、周囲とまさつが起きる。

 

しかしクリスチャンという事で苦しみを受ける事がある。悪口を言われたり、仲間はずれにされたり、何の非も無いのに非難中傷されたり、不当な扱いを受ける。「そしりと苦しみを受け、捕らえられ、財産が奪われ」・・今は、即、公安が来て拘束されたり、命を奪われる事は無い。が、つらく当たられ、村八分にされるような、不当な苦しみを受ける事がある。

 

しかしそれがキリストゆえの苦しみなら、恥じる事はないと。この事のゆえに、落ち込み、落胆するのでなく、喜べと。喜び踊れと。そして主を崇めるようにと。「喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてうける報いは大きいのだから」と。その人は、たとえ迫害され、辱めを受けたとしても、主との個人的な堅い関係があるので、幸せな人だ。

 

そしてこの世の喜びではない、御霊の喜びが与えられる。どんなに自分が罪深いかを知り、その罪が赦されている事を知っている。どんな愛で愛されているかを知っていて、いかに苦しい時にも、主が共におられることを知っている。

 

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信仰ゆえに迫害がある事は、御言葉が言っている事で、わかっている。しかし、わかっているのだが、嫌がらせや、攻撃を受ける時、心が落ち込んでしまい、意気消沈してしまう。そこで主は喜べ、喜び踊れと言われる。天で報いは大きいと。御言葉に立とう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係