「悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい」エペソ6:11

サタンは私たちの「思い」に攻撃して来る。「悪魔はすでにイスカリオテ・ユダの心に、イエスを売ろうとする思いを入れていた」とあるように、悪魔が、ユダの心に、主を裏切る「思い」を入れた。悪魔が持ち込んだものだった。ユダは、主を裏切る思いが、サタンからのものである事に気づかなかった。力の限り、心を見張っていよう。

 

最初にサタンが私たちの心に、「思い」を入れる。だがその思いを、受け入れるか、拒むかは、人間の側の選択だ。サタンからの吹き込みを、拒否せずに、同意し受け入れた時に、「サタンが彼にはいった」と御言葉は言っている。ユダが拒まず、その思いを自らの意志で選択した結果、サタンに支配されてしまった。

 

サタンからの思い自体は罪ではない。朝から晩まで一日中、様々な思いを吹き込んで来る。それを選択し、同意し、受け入れる時に罪となる。欲がはらむと罪を生み」の通りに、自らの強い欲望のあるところに、サタンが誘惑を吹き込み、それを受け入れ、その思いを妊娠させてしまう。妬みや憎しみ、恐れや思い煩い・・その思いに同意し、受け入れてしまっているだろうか。

 

心が真空状態の時に、サタンは思いを吹き込む。賛美や御言葉、祈り、主を思う時に、心は守られる。心を、力の限り、見張れと言っている。心を見張る人などいない。そのためサタンが自在に働けてしまう。心を見張っていよう。祈っていよう。

 

・・・・・・・・・・

絶えず、絶えず同じところにサタンは来る。執拗に来る、その根元に何があるのか、祈ってみよう。その根にあるもの、苦い根を引き抜いて頂こう。苦い根に気づく事は、祝福の第一歩だ。頻繁に、しつこく来る思いによって、サタンに気づける。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係