「私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません」ガラテヤ5:16

人は自分の非を、認めたくないものだ。心には、二人の自分がいる。そして、あらがい戦っている。一人は「人は関係ない。罪を犯したのは自分だ。自分の罪だ」と言う。しかしもう一人は言い訳し弁解し、あれこれ理屈をつける。「相手が悪い。相手のせいで、自分はこのようにした。相手がそうしなければ、自分はしていない。自分は悪くない。」自分を正当化し、罪を認めようとしない。

 

一人の自分の内に、異なった二人の自分がいる。罪を認める自分と認めない自分だ。しかしどんな中でも、主に従って行こうとの思いがある時、主は強情な思いを砕いて、悔い改めへと導いて下さる。人は本心では、罪がわかっている。しかし自我があり、プライドにより、素直に認められない。

 

人に注意されたらどうだろう。頭でわかっていても、ムッと感情的になる。指摘されるとプライドが傷つき、反発し、心を頑なにする。自分の内の古い性質であり、自我だ。しかし、それではいけないとの思いもある。新しい性質だ。肉が改良されて霊になるのではない。肉はどこまでも肉、霊は霊だ。

 

「肉によって生まれた者は肉。御霊によって生まれた者は霊」の通り。私たちは、この二つの間にあって選択する。肉を選ぶか、御霊を選ぶか、御霊を選ぶなら御霊の実を結ぶ。御霊の方を選べるよう助けを求めて祈ろう。失敗した時は、悔い改め、〃前進して行こう。

 

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御霊により、肉の欲はあるが、それを満足させないと言っている。自力でなく、御霊によって歩む事が大切だ。そのために、自分自身を明け渡して、御霊の示しに一つ一つ従って行くことだ。御霊の力が臨むので、助けられて、従って行ける。ゆだねられるよう、祈って行こう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係