「偶像のために、みなわたしから離されてしまったイスラエルの家の心をわたしがとらえるためである」エゼキエル13:5

私たちは、神以外のものに心を奪われ、執着すると、神が見えなくなってしまう。太陽の前に10円玉を置くと、大きな太陽が全く見えなくなるように。そして神の前に置いたものは、偶像となってしまう。主を裏切ったユダは、主の前にお金を置いて、主が見えなくなった。

 

金持ちになりたがるなら、「誘惑と罠に陥り、破滅と滅びへ向かう欲に陥る」とある。「金持ち」とは金銭だけではない。地位、名誉、賞賛、評価、人の上に立ちたい野心であり、自分が認められたい欲望だ。その欲は、悪魔の誘惑と罠に陥るとある。信仰から迷い出てしまう。そして迷い出ていて気づかない。

 

クリスチャンになれば、人の作った石や木の偶像を拝む事はない。しかし偶像は目に見えないものでもある。泥酔やギャンブルならすぐわかるが、一見麗しい、喜ばしいもの、悪くなく、良いものであると気づかない。「彼らの力とするもの、栄えに満ちた喜び、愛するもの、心に慕うもの」だ。あなたに握りしめて放さないものがあるだろうか。

 

神より大切になっているものだろうか。自分の内に偶像がないか、御霊に探って頂こう。そのままにしておくと、ユダでないが命取りになってしまう。主のもとに行き、主に告白し、偶像を主のもとに持って行こう。主に渡せるように祈ろう。

 

きよめられ、主がはっきりと見えて来る。10円玉が除けられると太陽がはっきり見えるように。その時、今までぼんやりしていた、主の御声がはっきりと聞こえ、信仰に前進できる。

 

・・・・・・・・・・

主がぼんやりしている時、主以外のものが、心を占めているだろうか。もし主を更に親しく知りたいなら、心を照らされるよう祈ろう。自分でも気づかずに、偶像になっているものがあるかも知れない。献げて行けるよう祈ろう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係