「だれかに友だちがいるとして、真夜中にその人のところに行き、『君。パンを三つ貸してくれ』・・」ルカ11:5

ある人に、真夜中に友人が訪れた。あいにくパンを切らしていた。それで隣家に行き、パンを三つ貸して欲しいと頼んだ。が、こんな時間に迷惑だと、自分が動けば、子供が起きてしまうと断られた。しかし空手で帰れず、借りるしかすべが無く、引き下がれない。なおも執拗に求め続けた。

 

その結果、隣人は起き上がり与えてくれた。しかしその動機は、うるさくて迷惑で、早く消えて欲しいからだ。愛情や親切からではな。しかし神は違う。御父は私たちを極みまで愛しておられるので、迷惑でうるさいからではなく、愛ゆえに与えて下さる。

 

アウグスチヌスの母モニカの祈りは有名だ。放蕩息子のために、モニカは何年も祈り続けた。ところが、祈れば祈るほどますます息子は堕落して行った。見えるところ正反対だ。状況はどんどん悪くなる。だが「涙の子は滅びない」と励まされ、更に涙と共に、主にすがり、祈り続けた。そんな中、息子がローマへ行くと言う。大変な歓楽街、取り返しがつかぬほど堕落してしまうのでは。止められるよう切に祈った。

 

が、ローマへ行ってしまった。だが、まさにそのローマで、彼は悔い改め、神に立ち返ったのだ。祈りは見事に答えられた。祈りの答えに「神の時」がある。時が満ちると実現する。失望せずに祈り続けよう。事態が悪くなって行くように見えたとしても、時が来ると、必ず実を結ぶ。長い祈りの答えを見る。御心に適った祈りは、必ず叶えられる。祈り続けよう。

 

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主が祈りに答え、願ったものを与えて下さる動機が、愛であることが嬉しい。こちらも祈る時に、主に真心を向けて行きたい。祈っているのに、事態が好転せずとも、なおも忍耐を持って祈り続けよう。祈りが答えられる一歩手前かも知れない。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係